藤本タツキ先生の「妹の姉」問題点?考察。~脚本の人そこまで考えてないよ~

 ジャンプ+にて期間限定で公開された短編「妹の姉」の考察です。

https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821

○問題点

 妹が最初のヌードを描く時に姉に相談し、了承を得て描いていれば、「無許可」で燃え上がってる人は居ないはずだ。

では、今からでも、そのように改竄すればいかがだろうか?

 それを提案して改竄されてしまうと、その後の展開全てが変わり、物語そのものを改竄しなければならくなり、自分以外が描いた作品をそのように歪めたいという欲望は、妹が姉の身体を歪めて描いた、その欲求と変わらなくなる。

つまり、改竄を望む者は妹とあまり変わらない思考をしている。という事を知ってほしい。

○全体的な感想

ええやん、最高やん。

 ぁ~グロ耐性ない人は読まないほうがいいと思う。でも、この漫画のテーマは愛であって、純愛、敬愛、憧憬、など。それが凝縮されて、姉妹愛だけど、妹の方が姉の事をスゲー好きかと思いきや、姉の愛情スゲーみたいな。最高だね。

裸を見られたり、描いたりするよりも、もっと恥ずかしい感情が見れて、大変満足です。素晴らしい。羞恥心というテーマは、本当に面白い。

○問題点を呈するコメントに対して。

 漫画っすよこれ。フィクションっすよ。頭を柔らかくして読むのもいいと思いますよ。

 嫌悪してもいい、嫌いは嫌いだろうし。合わないのを無理に読むとか拷問ですからね。嫌いだとか生理的に無理とか、そういう反応も、それも含めて作品だと思うよ。好き嫌いあると思う。私は好き。この漫画めっちゃ面白い。天才だと思う。マジ最高。

 これが嫌とか文句書いてる人は「愛」が底知れなさ過ぎて怖いのかもしれないね。理解できない感情を知ると人は恐怖を覚えるので。そういう見せ方でも好い作品ですね。

 嫌悪してるって事はね、どこかそういう所が自分にあるって無意識の人もいると思うよ。何かを手中にしたい。そういったエゴだったり、渇望といったような、そういった物を、妹は「やりよったわアイツ」っていう羨望が含まれているんだと思う。だからそれだけ、嫌悪されてるんじゃないかな。同類嫌悪ですね。

 読み手のストレスというのは一般常識的には「悪」の定義である妹が特になんも痛い目に合わないまま、姉に受け入れられ続ける事がストレスで、「俺はこいつ嫌い!!」ってキャラが幸せそうなだけでイライラする。処罰感情が消化されない事もある。

しかし、姉は姉で妹を溺愛しちゃってるんですよね。

 傍から見たらDV夫婦に見えるので、読者からしてみれば、そんな奴と一緒に居ないでさっさと別れればいいのにといったような感想が出る。

 しかし本人たちがそれを納得しているならば、姉が見た感じ拒否してたとしても、本当の意味で拒否はしていない為、DVではなく、プレイです。

 妹にとって最上の罰は姉に完全拒絶される事、それ以外は全てご褒美です。いや、完全拒否される事すらもご褒美かもしれない。それだけ矢印が自分に向かうという事が、幸せなのです。

 物語の中盤で裸になってベッドに寝転びデッサンを取られ、久しぶりに会話する事を喜んでいる。お前の「乳首を黒く~」、といったような侮蔑的な表現で、私と同じ目に遭わせてやる、それを罰として姉は捕らえているが、その話を聞いている妹は、心底嬉しそうなのだ、つまりどのようにした所で妹は姉から与えられる感情は全て愛情であり、拒絶ですら、多分「自分を意識している姉」というご褒美なのだ。

もはやこれは無敵。

妹は、姉が何かの事故とかで死んだら、肉を食ったり焼かれた後の骨食うタイプの人だと思います。

○妹が無許可で、姉のヌードを想像で描いた。

 狂気じみたほどの愛情というものは、こういうモノなんだと思う。妹が姉を想像で死ぬほど好きな姉のヌードを描く。周囲とか、どうでもいい。どうでもいいんですよ、この妹は。姉が例えばノイローゼとかになって、このせいで死んだとしても、悦びなんだと思います。むしろ最高の悦びなんですよ。永遠なんですよ。私のことを思いながら死んでくれたというような、狂気なんです。最高。いや、そりゃ現実にそれあったらアウトですけどね、創作ですからね。

 そこまで欝展開だと引きますからね。裸だのセックスだのを超えるくらいの独占愛とか、自己満足とか、そういう意味ではこの作品の根っこはヤバイ。そういう、やベー所に嫌悪してる人は多いと思うよ。

 二人の世界なので。そこには他の人がいない、かなりクローズしてる。意識として、あの二人以外が、存在さえしていない、他人に対して、恐ろしく無関心、っていう世界。

 姉と妹のそういった世界観を考えると、好きの反対は嫌いではなくて、無関心。という言葉の全肯定なんですよ。純度高すぎる。そういった、完全なる世界の話を見て、読み手までもが、疎外感を感じているのかもしれない。なぜなら、誰も、姉にも妹にも感情移入できないから。

○クローズしている二人の物語であるなら、生徒や親戚の登場は余計では?

 そこは多分、異常が際立つからだと思います。通常の普通の振る舞いをする人が居る分、異常さが際立つんです。怖い。サイコドラマよりもサイコを感じます。

 光が強ければ強いほど、その落とす影はとても濃く、暗い。そういう異常性を感じるんです…。うひー好き。

○妹が描いた理想の姉のポーズは下半身が強調されすぎでは?

 あのポーズは下半身強調よりもベッドに寝そべっている、下に居る姉なのに、構図的に上から見下ろすという、考えられているポーズで、ついでにいうと手足が折りたたまれて居て、まるで四肢切断されているようにも見える、大人のように見えるのに幼児性が出る、しかし、別の見方をすると、手足が見えない分、その長さが判らない。どれだけ長いのか、短いのか、伸びしろ的な暗喩も含まれているなら大変秀逸なシンボルといえると思います。

 世の男性が性器を披露することに対して、本人が羞恥する場合も多少はあると思いますが、しない人も割合的に多いと思うんですよ、性差で、男性は性器をボロンしても、ほりだしてる本人は「オラオラ!見ろよ!」といった感じに喜んでる的な使われ方が多く。それに対して、女性で性器を男性に披露して「どうだ?」みたいなのは、SM女王様くらいじゃないですか。つまり、上位に居る人間が「私の性器を褒め称えなさい」といったような、完全に上から。そういう、女もこれくらいなってもええんちゃう?っていう気持ちではないかと。
 また、下半身の露出の意味としては、姉の隠す秘密を覗き見たい、といったような妹の内心の暴露であり、腹を切り裂かれた内臓じゃなかっただけ良かったというか、あの表現でも大分妥協したんじゃないかとも思います。四肢切断に見えるポーズにしてもモロ出し下半身にしても、その人の本質を暴きたい、支配したい。そして、その表情はそれを良しとしない「切ない表情」で羞恥とは被支配の象徴であり、妹の願望でもあるように思います。

セカンドレイプでは?何で親戚は怒らないの?

 同意しているからレイプに見えないのかも。しかも強姦じゃなく和姦なんで、ぬるいと感じられるのかも知れません。ヌードを公開されてるのに、親戚が誰も怒らないっていうのは、本物のヌードではないからです。「」ですから乳首描いたっていったって、ただのピンクです。ピンクだけ見たところで興奮しないじゃないですか。陰毛もまた、ただの黒だし。周囲の人にとってはそれはヌードだけど「」でしかないんです。性欲を掻き立てるモノではない、という作品の中での表明でもあると思います。

 ミロのヴィーナスとか、世界中にあるヌード絵画は全部セカンドレイプと思ってる人は、ちょっとアレっすね。ただのキノコみても「汚らわしい!」とかいうんだろうかね…土は落とさないと駄目だね。

○生徒たちが囃し立てる胸の大きさへの言及

 生徒と姉の関係は、言ってみれば倦怠期に入った夫婦のような、羞恥心の無いセックスってあんまりデリカシーないじゃないですか。パンツもはかず周りをウロツクような奥さんとか、もはやセクシーを感じない。周囲の生徒たちは、そういう、性的に例えると、姉に対して羞恥するような間柄じゃないってことの表れで。すきでもきらいでもないけど、いてもいいよ。位の、そこが無関心にも通じると思います。初夜とか、そういう性的な気恥ずかしさが、周囲には、一切無いからかもしれません。好きな人にしか、恥ずかしさを感じないじゃないですか。妹は姉に対して羞恥心を感じてるけど、周囲は誰も、姉に対して徹底的に無関心。美術学校だからだと思うんですが、ヌードが飾られて学生に「乳首がどうとか胸がどうとか言及される」そういうのは彼らにしてみれば「昨日の晩御飯なんだった?」程度の話です。

 そりゃ普通の女の子が普通の学校で誰か判別できるくらいの写真みたいな絵で学校の先生にヌードが飾られたら、いやいやどんな地獄だよってなるだろうけど、この話の中では、ヌードに対して、そこまでの意識がない。

 また、姉の屈辱は「実際よりも美しく描かれてしまった恥ずかしさ」で、本来の自分はそこまで胸も大きくなく、乳首も綺麗ではない、また妹の裸をデッサンしていた時の会話でも判るように、理想化されてしまった悔しさのようなものを感じます。裏を返せば「お前はそれほど美しくはない」「私は尊敬されるような人間じゃない」

 等身大の自分と、周りが見る理想化された自分のギャップのようなもの。時々「神絵師」なんてもてはやされる人が感じる思いではないだろうか?「人」を「神」にしないでほしいといったような事をたまに呟かれてますね。

○妹の部屋に貼ってあった姉のヌードではなぜ駄目で、周囲に見える場所だったのか?

 街中でイチャイチャえっちしてる所を描かれている癖に、全然本人たちが周り気にしてないのが、なんか腑に落ちない。そういうのは部屋の中でして欲しいっていうような居心地の悪さなのかもしれませんね

○絵を描く人と描かない人のギャップ

 美術学校に行ってる人はあんまり絵を描く上で裸とか気にしない、普通にヌードとか描く。いかにしてそれを線にするか、絵にするかしか考えてない。絵を描かない人には判りにくい感情かも知れませんね。どないなっとんねんここ?みたいな…。

○プロのモデルではないなら、姉はもっと拒否するべきでは?先生も止めるべきでは?

 この物語はフィクションであり、実在の生徒、先生とは何の関係もありません。ヌードを貼り出された事自体はこの物語はそれを、軽視しています。そこを重視した内容の物語にしたい。というお気持ちは判りますが、それはそもそも、この物語とは違う物語となる必要があり、あなたが「見たい物語」ではないです。あなたが見たい物語は貴方御自身で制作されればよろしいんじゃないでしょうか。

多分ですがクソほど詰まんない話になると思います。

 姉以外の人物はこのヌードを貼り出され、姉が嫌がっていることに対して非常に無神経であり、妹は異常であるという認識と、姉がなんらかの心的被害を受けているという認識があります。

○作品とは

 刺激のない普通の作品なんてものは、面白くないし、本当は誰も見たくないんです。人が作品を見たいと思うのは、自分にはない、非日常が欲しくて作品を読むんです。そういう意味では非日常であり、この作品は成功しているとおもいます。現実で性癖イカレてる人はうん、健康に気をつけような!って思います。

 普段ツイッターなんかで、こういった漫画がバズると大体「尊い」みたいな感想じゃないですか。そういった意味で、この漫画は拒否してる人にとっては「尊くない」なんですよね。
 姉に対して全員が雑に優しくない。姉の人間性の全否定であり、それを誰も理解しない、擁護しない。面白がり囃し立て、誰も助けない。現実は残酷なので、実は非常にリアルな話です。
 攻撃する人と攻撃されている人、最後に攻撃されていた人が相手を叩きのめすといったような「物語」のほうが、普通の人には昇華しやすいんでしょうね。
リプは概ね「最高じゃあないっすかぁ…」「尊い」でしたけどね!
○作品を改竄したい人たち
 どうにかして今の「妹の姉」を駄作として、ぼくのかんがえたさいきょうの「妹の姉」みたいなこじらせ方をしてる人は、嫉妬とか羨望があるんじゃないかな。強すぎる光は身体に毒だし、自分に持ち得ない才能を目の当たりにすると、人はそれを否定してしまいがちですからね。
 こうだったらもっといい作品になったのに、とか、ああいうふうにすれば、自分ならこうする。なんていうのも、この作品に「手を入れたくて」溜まらない、何かを感じる。これが「犯したいほど好き」なんじゃないかな。
 アニメ化なんかで、原作に対してリスペクトのない改悪は、大体ぶったたかれるんよね。アニメ製作者は原作よりも良くしてやる!みたいな感じで手を入れて「作品自体なかったこと」にされる。よくある話っすね。
○フィクションだと思わなければ辛い
 救いなんてものは外になくて、内にしかない。助けてくれるヒーローもヒロインも居ない。そういう意味で、フィクションであってほしい。なんでしょうね。
 つまりそれだけリアルに受け取っているという事の証左でもあると思います。
 被害者心情ではなく、加害者心情として、姉の心の救済を求めてるけど、姉に対して、自分が過去に、誰かにむごい事をした、その相手の心情なんて知りたくない。っていう意味で、罪悪感を感じて、この作品が無理ってなってる人もいるんじゃないかな。
 人は残酷ですからね、自分の残酷性を見せ付けられたら耐えられないもんです。しかしそれを作品として世に出したなら、そりゃあ作者は袋にされるでしょう。そういった「袋にしてた人」のささくれを逆撫でしてるわけですから。
相手が悪い人なら何をしてもいいっていう。「気持ちよさ」を視覚として見せられた「気持ち悪さ」最高ですね。 
○SNS暗黒時代
 どこかで、やらかした人が居れば、その人の所在、勤め先、そういった物を探し当て、お前はここに住んでるな?とSNSに晒される。
住所や勤め先を晒されただけ、この時点ではプライバシーの侵害であり、法的に違法ではない。
 ただし、それをみた、腹に据えかねている住所を晒した人ではない、誰かが、その家に行って暴行をすれば事件になる、事件が起きるまでは事件ではない。
心理的に、いつかそうなるかも知れない、恐怖、心的不安のみでは事件に出来ない。
正義の為ならば、特定の人間を追い詰めてもいい事だと捉えている思考は非常に怖いですね。

ゾーニング

 この漫画をゾーニング……、ゾーニングか~。読む人が読んだらヤバイって思うんじゃないかな~R15位でもいいかもしれませんね。分別のつかない子供にはちょっと危険な話かもしれない。自己中な妹が姉を陵辱しているようなもんですから。姉はそれを受け入れて、お股かっぴろげてるし、物理的にも。ゾーニングしてほしいっていう、その気持ちは判る。ヤベーもん。編集さんがしなくて良いっていう判断ならしなくていいんじゃないですかね。

○漫画の中のヌードと、ツイッターでTLに流れてくるエロ画像の違い。

 ツイッターに流れてくるエロ画像とか「いい」と思ったら何も考えずに「いいね」するよね?しない?なんで漫画家の漫画の中のヌードには、ここまで関心が寄せられるのか?嫌悪感を持つのか?ストーリーの中で姉が意思を持った人格を備えた人のように見える錯視のせいだろうか?現実の世界で、裸をネットに暴露され自殺した少女の無念を想起させるせいだろうか?あるいはその裸に似たモノを消費している自分が責められているような気持ちになるせいなんだろうか?疑問です。

 アイコンや、ヘッダーなんかもそうなんだけど、ツイッターで面白い漫画とかのリプに「尊い」とか「いいね」とかいうのを、どこかの漫画から引っ張ってきて文字を変えて、自分が描いたわけでもない画像を改竄して無断使用する人とか居るよね。その人たちに対しても、それは許可取ったんですか?って聞かないのかな?ヌードか画像かの違いだけど、そういうのも反映してるように思う。その画像を見ても無関心なんだよね。「面白い」という価値でしかなく、それを勝手に使われる人の事なんて誰も考えてない。

 勝手に描かれて貼り出され、周囲に晒された姉のヌードと、どれほどの違いがあるんだろう?

○二次創作

 妹がなんの許可もなく、姉のヌードを「想像」で描く。それゆえ本物と違う。

 二次創作もまた、ファンが、作者の許可も取らずに二次創作を「想像」で描く。それゆえ本物と違う。

 姉は困るな、といった顔をしつつも受け入れる。妹の「家賃が安くなるよ」という台詞。妹は姉を尊敬し、ある意味、信仰している。

 作者は困るな、といったスタンスだが、受け入れている。ファンの宣伝効果が、あるかも知れない。もちろんファンは作者に全面降伏であり、ははあーと平伏している。

○名前

 姉と妹の名前が、光子と杏子ですが、これも暗示的というか光(ひかり)子と杏(きょう)子。

 光は重力の影響を受けるものの、直進し、物質にぶつかると屈折、反射する性質を持つ。これはまさに姉の性格を示しているように思う。

 杏子の杏ですが、種種子は青酸配糖体や脂肪油、ステロイドなどを含んでおり毒にも薬にもなる、種を蒔いても同じ物が実らない。ゆえに接木でしか増やせない。こういった事を考えますと、杏子は今後の物語が、もしあったとしても、姉以外を愛する事がない暗示のようで、そしてそれは杏子にとってこの上ない幸せだと考えます。

また狂の(きょう)と同じ音である事はただの偶然だろうか。

ナ、ナンダッテー!

○最後に

脚本の人そこまで考えてないよ。

と、言われるでしょうが、あくまで、私個人の感想です。

ぱわーちゃんかわいい